先週の木曜日に友人の働くDPI/AP(障害者インターナショナルアジア太平洋地域事務局)を訪ねてからずっと、アパートのある通りからほとんど出ていません。
ここにいる限り平和だし、生活に困ることはないけれど、だんだん気持ちが鬱屈してきます。
屋台などはいつもどおり開いているところが多いですが、やっぱり普段よりは少ない。
昨日の夜、8時ごろに夕食を調達しようと思って通りに出たら、なんとパッタイ(タイの焼きそば)の店一軒しか開いてなくて、しかもそれももうすぐ完売という滑り込みセーフでした。
通常は、最低でも9時ごろまでは何件かの屋台が出ていますし、11ごろまで開いているところだってあるんです。
ふっと、戦争の始まりというのはこういうものなのかもしれない、と思いました。
ある日、一軒の店が閉まっているのを見つける。そして次の日はさらに2・3軒が姿を消す。
数日後には、何かを買おうにも、一見の店も開いていない。。。
街の戦争、都会の餓えは、そうして始まるのかもしれません。

もう一つ考えたのが、世界に何十万といる難民のことでした。
当然のことですが、この状態では、アークの活動をしようにも、近い将来の予定をまったくたてられません。
移動が危険である以上、ボランティアや子供たち、私自身の安全確保が最優先であることは十分理解できるのですが、いつになったら活動が再開できるかわからないというのは、想像以上にやる気をそがれるものなのです。
生まれた国を追われた難民たちは、第三国の受け入れを待つため、あるいは帰国のチャンスを待つため、何年も、ときには一生を難民キャンプで過ごすと聞きました。
人間はいつも明日を考えて生きるものです。その明日がまったく見えない上体が何年も続くというのは、きっと難民から希望や向上心といった、未来につながる思いをもぎ取ってしまうのではないでしょうか。

たった一週間行動を制限された私の経験は、難民や戦争体験者のそれとは比較になりませんが、今まで思い及ばなかったことを考えることができたいい機会でした。